いだてん第1話あらすじ|2019NHK大河!古今亭志ん生、嘉納治五郎って誰?

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いだてんは、2020年の東京オリンピック開催直前となる2019年に、NHKが送る日本のオリンピック創成期を舞台にした大河ドラマです。

ここでは、1月6日放送の第1話「夜明け前」あらすじや見どころを紹介するとともに、キーパーソンとなる古今亭志ん生嘉納治五郎についても、紹介していきたいと思います。

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いだてん、第1話あらすじと見どころ

いだてん第1話のあらすじ、そして私個人的な主観による見どころを、紹介したいと思います。

なお、ここでは2019年大河ドラマ・いだてんについての、詳しい説明は省略しています。どんなドラマか知らない人は、こちらの記事を読んでから進めてください。

いだてんNHK大河ドラマ2019主題歌あらすじなど綾瀬はるか出演

2018.10.01

いだてん、第1話「夜明け前」あらすじ

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1959年、五輪招致目前の東京・日本橋、大渋滞の中を寄席に向かうは落語家、5代目古今亭志ん生(ビートたけし)。

その日の志ん生が高座で語る演目はなんと、50年前の話。それは、日本がオリンピックに初参加したときのことにまつわる話だったのです。

時は50年前にさかのぼって1909年、12年ストックホルム大会の3年前。

後に柔道の創始者として名を残す嘉納治五郎(役所広司)は、オリンピックに日本人を参加させることを夢に掲げ、悪戦苦闘の日々。

でも時は、日本でスポーツという言葉すらも知られていない時代。そんな時代に、日本人初となるオリンピック派遣選手を、どのようにして選ぶのか?!

日本オリンピック史の記念すべき1ページ目が、ついに開かれる!

 

いだてん、第1話の見どころ

言うまでもないことですが、いだてんの記念すべきオープニング回となります。

なので、主人公の金栗四三役・中村勘九郎や、後に金栗四三の妻となる春野スヤ役の綾瀬はるかをはじめ、いだてんの主要キャストが一気に登場すると予想されます。

大河ドラマの定番(?)、暗黙(?)なのか分かりませんが、主人公もしくは、主人公亡き後の世の中の描写から始まって、その回想という形で本編が始まる、というスタイルを取る作品が、多いです。

あらすじから察するに、いだてんもこのスタイルを取って(?)、ナレーション役も兼ねる古今亭志ん生の噺から、本編が始まるようです。

その時にもしかしたら、いだてん後半の主人公・田畑政治役の阿部サダヲの登場も、あるかも?!



いだてんの前年となる、2018年大河ドラマ・西郷どんでは、西郷隆盛役の鈴木亮平はじめ、各キャストの熱のこもった演技が話題となりました。

それを引き継ぐ2019年大河ドラマ・いだてんの出演者も、「西郷どん」に負けず芸達者な役者さんたちが集結しているので、「西郷どん」に負けない熱演が期待できると思っています。

主人公の金栗四三は、嘉納治五郎に才能を見出され、ストックホルム大会を目指すことになりますが、第1話ではその出会いが描かれることになると思います。

そこに、どんなドラマが待っているのか?クドカンこと宮藤官九郎は、どのように描くのか?きっと、クスリと笑えるようなお話しに仕上げてくれると思います。楽しみにしたいと思います。

 

いだてんキーパーソン、古今亭志ん生、嘉納治五郎とは?

いだてん第1話のあらすじと見どころを紹介しましたが、キーパーソンとも言える古今亭志ん生嘉納治五郎が、どんな人物なのか?

ここでは、この2人についてまとめました。

 

いだてんキーパーソン①古今亭志ん生

いだてんは、ビートたけし演じる落語家・古今亭志ん生が語る噺というスタイルで、ストーリーが展開されます。

古今亭志ん生は、正式には五代目古今亭志ん生といい、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家で、戦後の東京落語界を代表する落語家の一人と言われました。

孫に女優の池波志乃がいて、映画「翔んで埼玉」に出演の中尾彬は、この池波志乃の夫で、古今亭志ん生の義理の孫にあたります。

1890年(明治23年)、志ん生は元徳川直参の旗本・美濃部戌行(みのべもりゆき)の息子として誕生しました。名前は考蔵

考蔵が14歳の時、美濃部一家は、治安が悪いことでも有名な浅草に引っ越しますが、それがキッカケなのか?孝蔵は、近所でも有名な不良少年に育っていました。

そして孝蔵15歳の時、博奕の借金のかたに父・戌行秘蔵の煙管を質に入れたことで父の怒りを買い、勘当されたのです。

それ以来、孝蔵は実家に寄り付かず、親兄弟の死に目にもあわなかったそうです。

その後、孝蔵は「天狗連」というプロアマ混在の芸人集団に出入りするようになり、徐々に落語家としての道を歩んでいきます。

そして、所属門下や名前をコロコロ変えながら落語家として歩んでいくのですが、これについて志ん生自身は後に「4代目橘家圓喬(たちばなやえんきょう)の弟子だった」としか語っていないそうです。

この辺からも、大物の匂いがプンプンしますよね。

そんな孝蔵にも妻ができ子供ができますが、落語家としては鳴かず飛ばず、一家は貧乏のどん底だったそうです。

その時に居ついた業平橋の長屋を題材にした噺が、後に伝説となる「なめくじ長屋」だそうです。

孝蔵が50手前になった頃、ようやく落語家としての実力が認められ、この頃5代目古今亭志ん生を襲名します。(ここからは、孝蔵→志ん生とします)

でも、時代は第2次世界大戦に向かって突き進んでいく。落語仲間が次々と出征する中、志ん生も出征。帰国したのは戦後2年経った、1947年のことです。

このとき、戻ってきた旦那の顔を見た妻のりんは、幽霊を見たような顔をして驚いたそうです。



その後、ラジオ全盛期を迎えたことにより落語界は激変、落語ブームに火が付き、志ん生も売れっ子落語家となりました。

売れっ子になっても、志ん生は気まぐれの一言

気が乗らなければ高座を投げる演目途中で話が無茶苦茶になることもあったそうです。でも、そんな破天荒ぶりも含めて、多くの人から愛されたそうです。

そんな志ん生の芸風は、脳出血で倒れ療養・復帰を境にして、破天荒な「見せる」落語から、しっかりと「聞かせる」落語に変わっていったそうです。

そして、1968年(昭和43年)に紫綬褒章を受賞した5年後の1973年(昭和48年)、志ん生は83歳で永眠しました。

高座で酔っ払う上に、途中で話が無茶苦茶になる。だけど憎めない多くの人に愛された落語の神様でした。

大河ドラマ・いだてんでは、青年期を森山未來が、壮年期以降をビートたけしが演じます。どちらも実力には定評があるので、どんな古今亭志ん生(美濃部孝蔵)になるのか、期待したいです。

 

いだてん、キーパーソン②嘉納治五郎

2019年大河ドラマ、いだてんのキーパーソン2人目は、役所広司演じる嘉納治五郎です。

嘉納治五郎は柔道の創始者として知られる一方で、いだてん・主人公の金栗四三を見出し、ストックホルム五輪へ導いています。

嘉納治五郎は、1860年(蔓延元年)摂津国の名家・嘉納家の3男として誕生しました。

時は幕末、徳川幕府の大老・井伊直弼が桜田門外の変で暗殺され、幕府の権威が失墜して、幕府の崩壊へと向かっている時でした。

そして、函館戦争が終結した翌年(1870年)、明治新政府の招聘を受けた父・嘉納治朗作に連れられ、治五郎は上京します。

治五郎は、育英義塾(後の育英高校)官立東京開成学校(後の東京大学)漢学塾二松學舎(後の二松學舎大学)へと進学、学問では優秀な成績をおさめますが、悩みがありました。

それは、級友に腕力で劣るため喧嘩で負けてしまう、というものでした。それによって軽んじられてしまうのが、悔しくてたまらなかったのです。

そんなある日、治五郎は柔術というものがあることを聞きました。

柔術を学べば、腕力で敵わない相手でも喧嘩で勝てる!

そう確信した治五郎は、整骨をする者に柔術の名人が多いと聞くと、柔術の名人への弟子入りのために、整骨院巡りを始めたのです。



時は文明開化の明治、柔術をはじめ武術そのものが古臭いものとして廃れていたため、治五郎は整骨院を片っ端から訪問するも、冷たくあしらわれてしまいました。

それでも諦めない治五郎、ついに天神真楊流と出会い入門します。

ついに、憧れだった柔術が学べる!

天神真楊流の荒っぽい稽古で何度となく投げ飛ばされるも、やる気と若さにあふれた治五郎は、そこでメキメキと頭角を現していきました。

とは言え、お話ししたように文明開化の明治では、武術は過去の遺物。いくら柔術が素晴らしくても、このままでは人の心は捉えられない。

「なら、己自身でまったく新しい武術を始めよう!」

そう考えた治五郎は、その志の実現のために1882年(明治15年)、自身の道場、「講道館」を開いたのです。近代柔道の幕開けです。

最初は9人の門下生で始まった講道館ですが、1886年(明治19年)警視庁の武術大会を制覇したことにより、その名が全国に知れ渡っていきました。

講道館は、今は公益財団法人として全日本柔道連盟の事務局も置かれ、日本柔道の総本山として活動を続けています。

 

いだてん主人公・金栗四三との出会い&その後

嘉納治五郎は柔道のイメージばかりが先行しますが、学問の方も疎かにはしていませんでした。まだ少年のうちから、何かを教えることに喜びを見出す人だったそうで、教育者としても誠実な人だったそうです。

そんな治五郎を、世間は放っておくはずありません。

治五郎は1882年(明治15年)から学習院教頭1893年(明治26年)から25年間ほど東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)および、東京高等師範学校付属中学校(後の筑波大学付属中学校・高等学校)の校長を務めています。

いだてんの主人公・金栗四三とは、治五郎が東京高等師範学校の校長を務めていた、1910年(明治43年)に出会ったようです。

この年に入学したばかりの金栗四三は、秋の長距離走大会で3位入賞を果たし、その快挙を治五郎が褒めたたえたそうです。

治五郎は、柔道を単なるスポーツではなく世界中に広めたいと考え、それによって世界平和にも貢献したい、という志を持っていました。その思想が近代五輪と一致しているのか、日本のオリンピック発展にも大きく関わっていきます。

1909年(明治42年)には、東洋人としては初のIOC(国際オリンピック委員会)委員長に就任。1912年(大正元年)のストックホルム五輪では、日本選手団の団長を務めました。

このときの予選会で世界記録を樹立した金栗四三を、治五郎は長距離走の日本代表に選出、五輪に臨んだのです。

世界記録を樹立した選手を代表に選ぶのは当然の流れですが、金栗四三は一度断ったそうです。それを、治五郎が三顧の礼を尽くすように説得したとか。

その後の治五郎は、日本でのオリンピック開催を夢見て、そのために尽力します。そして1936年(昭和11年)、ついに東京五輪の招致に成功したのです。

しかし、その2年後の1938年(昭和13年)、治五郎は念願だったオリンピック開催を見ることなく、77歳で永眠します。

ちなみに、この「東京五輪」はあの1964年のものでは、ありません。

幻と言われた、1940年(昭和15年)開催予定のオリンピックのことです。この時は、1939年勃発の第2次世界大戦の激化により返上されています。

嘉納治五郎は柔道だけでなく、日本の近代スポーツの発展に大きく貢献した人物でした。



まとめ

いだてん第1話あらすじ見どころ、いだてんのキーパーソンとなる古今亭志ん生嘉納治五郎について、まとめてみました。

こういった時代背景などを知ってから見ると、違った視点でいだてんが楽しめますよね。

いだてん第1話は、1月6日放送です。公式サイトは、こちら

今日も、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

 



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