地球を楽しんでいない、私たち人類

私たちは、地球を楽しんでいない

この言葉は、メンターがふと口にした言葉です。あるできごとを通して、それを心の底から実感したので記事にします。

最初に断っておきますが今回の記事は、ものすごく個人的なことで、共感できない部分が多いかもしれません。それでも、この想いをどうしても残したいという想いで記事を書くことにしました。

もし良かったら、読んでいただけると嬉しいです。

 

「はじめて」だらけ!ヨットの回航

そのできごととは、ヨットです。メンターが3艇目のヨットを購入するにあたり、その回航に参加することになりました。

距離にして、神奈川県から三重県までの250マイル弱。1マイル≒1.6キロと換算して約400キロの距離です。ヨットは機走で最大でも5~6ノット程度(≒時速10~15キロ)なので、最低でも40時間かかります。当初は途中で寄港しながら、5日かけて行なう予定でした。

 

今までヨットで航海と言っても、最長でヨットハーバーから伊勢湾を隔てて対岸にある、セントレア近くのマリーナまでの40マイル程度でした。今回は、その約6倍の距離です。

ヨットの回航はもちろん、これだけの長距離航海は、初めてです。初めての真冬の海。初めての太平洋。初めてのこと尽くしで期待と不安が入り乱れる中、メンターをキャプテンに、私を含めて4人のクルーの計5名で出航しました。1月も終わりに差し掛かったある日のことです。

 

最初の目的地は、静岡県伊豆半島の先端にある下田マリーナ。10時間ほどの航海です。

 

暗闇の中進んだ下田港

海上保安庁の巡視船を通過したら、左手に見えてくる出光の石油タンクをさらに通過して、左手に見える桟橋

下田マリーナの職員の方に、海上からマリーナまでのルートを問い合わせたとき、目印に教えてくれました。まだ太陽も顔を出さない早朝に出航して、マリーナのある下田港に差し掛かった時、時間は18時を過ぎていました。太陽は完全に沈み、辺りはすでに夜の闇に包まれて真っ暗でした。

 

10メートル先も見えない暗黒世界

冬は、本当に太陽が早く沈みます。冬至を過ぎて日没が遅くなったとは言え、18時にはもう夜が始まってしまいます。

今回の回航を通してですが、太陽のありがたさを嫌というほど実感しました。

空気が一気に冷たくなるのはもちろん、街頭などの照明がまったくない海の上は、日が沈むと10m先も満足に見えない暗黒世界に早変わりします。

港内も照明設備がほとんどないので、目印に教えてくれた巡視船や石油タンクは、真っ暗闇の中で何の役にも立ちません。

さらに下田港内の、障壁のように西から突き出た防波堤のちょうど真裏にマリーナがあると言う位置関係で、マリーナに行くには下田港の端から端まで移動する形になります。

神奈川から半日以上かけてやってきた私たちにとって、暗闇の中、暗礁や停泊する船への衝突に注意を払いながら港内を進むこの距離が、地味に堪えました。メンターがあらかじめ用意されていたGPSがなかったらと思うと、本当に恐ろしいです。

今回の回航を通して航海技術も経験も浅い私たちは、このGPSにお世話になりっぱなしでした。

そんなことがありながら、やっとの思いでマリーナにたどり着いた時には、すでに19時前になっていました。

 

回航をあきらめる?

今思い返してみてこの日の航海は、曇りがちで寒かったものの、風も波もこの時期にしては比較的穏やかで安全な航海だったように思います。

でも、はじめての長距離航海で、しかも5人のうち2人が船酔いでダウンしたこともあって、一時は回航を断念して業者に依頼する方向にまで流れかけていました。

ですが一度乗りかかった船、途中で諦めたくない想いがあったのだと思います。撤収はせず、そのまま回航を継続することになりました。

 

次の目的地は、静岡県のほぼ中央部にある御前崎マリーナ。この日よりも20マイル近く短い、約70マイル弱の距離です。

翌日の天気は晴、15時に風速8mに上がるが、その後は4mまで落ちてくる模様。日没までには着くだろう。それ以上、特に何の確認もせず、私たちは翌日下田マリーナを出航しました。

さらに過酷な航海になるとも知らずに。

 

誤算の御前崎

翌日、太陽が沈み切って辺りが真っ暗になった頃、前日なら、すでに下田マリーナに到着していたであろう時間、私たちはまだ、御前崎に向かう海の上にいました。強風と高波に阻まれ、身動きも取れずに立ち往生していたのです。

 

荒れ狂う修羅場と化す

昼間は、おおむね順調に進んでいました。前日より風も波も高かったものの、航海の妨げになるほどではありません。ヨットが波に大きく揺られることが何度かありましたが、それもまるでメリーゴーランドのようで、「ヒャー」とか言って楽しんでいました。

昼過ぎの時点で、残り30マイル弱。この調子で行けば、夕方までには着くだろう。誰もが、そう信じて疑いませんでした。

 

15時を過ぎた辺りで、予報通りに風が上がってきました。でも風は弱まるどころか、時間が経つにつれてどんどん強まっていきます。予報では風速8mとなっていましたが、明らかに10mは超えていると思われる風が吹きつけるようになっていました。

それと同時に海の表情も激変、さっきまでの海と同じに思えないくらい、そこは荒れ狂う修羅場と化していました。

ヨットよりも高い波がまるで壁のように、前後左右から次々に襲うようになっていたのです。大きな壁が軽々と私たちを持ちあげたと思ったら、次の瞬間、まるで奈落の底に落とすかのように、「バーン」と言う音とともに何度もヨットをたたきつけます。

「ヒャー」とか言っている余裕なんて、ありません。

後から聞いた話ですがこの時、西からの向かい風と高波によって速力を失い、0.4ノットまで落ちていたそうです。

 

海の上で、孤立する

私たちは、前日に確認した天気予報の情報だけで出航していました。しかも、確認したのは陸上の天気でした。遮るものが何もない海の上では、風の威力は倍増します。完全なミスでした。

でも、そんな後悔をしている間にも風や波はどんどん強まっていきます。周りは一面海に囲まれて、避難できそうな場所も見当たりません。

助けを呼ぼうにも、近くを通りかかる船なども見えません。

 

どうする?下田まで引き返した方が良いのか?でも、そんなことをしていたら、間違いなく夜中になってしまう。じゃあ、どうしたら…?

とにかくこんな場所、一刻も早く脱出したい!

おそらく、私を含めてクルー全員が同じことを考えていたであろう状況の中、御前崎まであと少しという海の上で、ほとんど身動きが取れずに孤立していました。

 

でも、本当に恐ろしいのはまだ、この先にあったのです。

 

「死」を覚悟する

冬は、本当に太陽が早く沈みます。前日の下田でも思ったことですが、この日ほど太陽を恋しく思ったことはありません。「もっと昇っていてよ」という私たちの願いとは裏腹に、見る見るうちに西の空へ去っていって夜が始まりました。

風や波は衰える様子を見せるどころか、さらに勢いを増して容赦なく襲い掛かっていました。

 

辺り一面が真っ暗闇の海の上、10m先も満足に見えない暗黒世界で襲い掛かってくる波は、まるで目の前に大きくそびえ立つ断崖絶壁です。私たちが身を預けるヨットが今、どうなっているのか確認する間もなく、前後左右から次々に襲い掛かっては、私たちを奈落の底へたたきつけます。

吹きつけてくる西風は、まるで魔物のうめき声のように不気味な音を立てています。

「恐怖」の一言では表現しきれない、まさに地獄絵図です。

 

こんな状態が、あとどのくらい続くのか?

もう、この状態から抜け出せないかもしれない。助からない!

ここで終わるのか。人って、こういう感じで死んでいくんだ。

そんなことが、頭の中をよぎっていました。ここまで「死」を強烈に間近に感じたのは、生れて初めてでした。

後から聞いた話ですが、この時、メンターを始めクルー全員が、同じことを考えていたそうです。でも、そんな死と隣り合わせのような状況の中、いつの間にか「絶対に生きて帰るんだ!」と強く思うようになっていました。きっと、みんなが同じ想いでいたのだと思います。

 

みんなで、生きて港までたどり着く。私たちは誰から発するともなく、同じ目標に向かって1つになっていました。

 

ヨットは宇宙船

「星がキレイ」

ヘルムスマン(操舵士)を務めてくれたクルーが、ふと空を見上げて、こうつぶやきました。その声は緊張の糸が切れて、別の世界に行ってしまったかのようでした。その声に反応して、みんなが一斉に空を見上げました。

次の瞬間、誰もが息を飲んでいました。

そこには、今まで見たこともないような満天の星空が広がっていたのです。周りに何もない大海原、そこから見上げる星空は本当に美しくて壮大で、宇宙そのものと言っても過言ではありません。そんな広大な宇宙の中、力強く進んでいくヨットは、まさに宇宙船のようでした。

この時見た星空は、今でも忘れられません。

 

それから数時間後、私たちは御前崎マリーナにいました。生きてたどり着いた!私たちは、誰が言うでもなくハグし合っていました。

この御前崎の航海での体験は、間違いなく私たち全員の心に、強く残るものになりました。

 

さいごに

私たちは、地球を楽しんでいない

今回の回航を振り返って、メンターがふと口にした言葉です。

 

御前崎での航海を終えた後、浜名湖、伊良湖と寄港し、その先々で強風によって出航できず足止めを食らう日が続き(この時のことも、別の記事でお話しできたらと思います)出航、一時帰宅を繰り返して、三重県津市のヨットハーバーまでの回航が完了したのは、ここからさらに1か月弱経った、2月半ばのことでした。

今回の回航は、嵐の中でも転覆しないヨットの腰の強さを思い知ったと同時に、海と言う存在の恐ろしさと大きさを、まざまざと見せつけられた旅でもありました。

 

陸の上で、町の中で暮らしていると、頭上を超える波に襲われることも、その波で数メートルも上下させられることも、ありません。闇の中で座礁や衝突の恐怖におびえることも、ありません。

それはたしかに、幸せなことかもしれません。

でも、本当にそうなのか?ヨットでの回航を終えて、改めて思うようになりました。

 

人には喜怒哀楽の表情があるように、海にも表情があります。

それまで静かで穏やかでいたのに、急に人が変わったように怒り狂って嵐が吹き荒れたり。その逆もしかりです。

何かの本で見て「知っていた」程度でしたが、実際に体験してみて、何も知らなかったのだと身をもって思い知らされました。

 

私たちが生きている地球は、その7割が海で覆われています。私たちが普段生活している陸地は、たったの3割しかありません。それなのに私たちは、その3割しかない陸の上から海を見て、すべてを知った気でいるのです。

そこから見る海は、無限の顔を持つ海と言う存在の、表情の1つでしかないのに。

そして、そのことを知ろうともせずに、ビルなどに囲まれた町の中だけの常識が、地球の常識だと思い込んでいるようにも感じるのです。

それは、もったいないを通り越して、不幸にすら思えてなりません。

 

最後に、ある本の一節をご紹介したいと思います。その本とは、日本人で初めてヨットで南極単独航海を成功させた方の、体験記です。この方の体験に比べたら、私たちの体験は足元にも及びませんが、今回の航海と重なって、帰ってきた後、一気に読んでしまいました。

人という生き物は、いつのころから、ほかの動物に捕食される不安もなく、自然の力に脅えることもなく、日々を送っているのでしょう。天敵も自然の力も恐れず、むしろ忘れ、町という群れの中で安全に暮らすのは、幸せなことかもしれません。

でも、そういう生活が続く間に、遠い昔の記憶、もしかすると恐竜か何かに追われていた祖先の時代のこと、自然界で存続するために不可欠な掟や、勇気や、態度や、感性のようなもの、今後の人類にも同様に大切なことを、忘れてしまった気がするのです。

そんな思いを強く抱くのは、町という住み慣れた世界をヨットで飛び出したせいかもしれません。ひとりきりで自然の美しさと厳しさの中に生きる間に、感性がしだいに研ぎ澄まされ、狭い町の常識が地球の常識ではないことを、体の全ての部分で直感したせいかもしれません。

人工物のない大洋の真ん中を走りながら、強烈なオレンジに燃える太陽や、海面を銀色に光って吹く風が、はるかな太古からあると実感したとき、我々の住む現代社会の常識が、四十数億年も続く地球の常識ではないことを、心で直接理解したのかもしれません。

片岡佳哉著「ブルーウォーター・ストーリー」より抜粋

 

 

今日も、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

 

 

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